水安堡(スアンボ):韓国の温泉と公衆浴場の歴史
中世の地理の記録から、現代の銭湯と家族旅行まで。
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三つの歴史
水安堡(スアンボ)は、いまの忠清北道・忠州(チュンジュ)にあり、韓国のお風呂の歴史のなかでも記録がよく残る温泉です。昔の地理書に温泉が登場し、その後の資料には浴場の建物、営業する銭湯、宿、そして温泉町として育っていく様子が出てきます。
温泉が記録に現れた時期、浴場が建てられた時期、近代の観光が始まった時期。この三つを分けて見るとわかりやすくなります。「1018年に初めて記録」「韓国最初の温泉」「王の温泉」といったおなじみの説明も、そうすると少し違って見えてきます。
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『高麗史』:1018年は何の年か
早い時期の記録が、『高麗史』巻56の地理志、長延県(チャンヨンヒョン)の項にあります。
そこには、長延はもと高句麗の上芼県(サンモヒョン)で、顕宗9年(1018年)にいまの名前になり、忠州の管轄に入ったと書かれています。そのあとに別の一文で「温泉がある」と記されています。
つまり温泉が知られ、記録されていたことはわかります。ただ、1018年という年は地名と管轄の変更にかかっています。その年に温泉が見つかった、使われ始めた、浴場になった、とは書かれていません。
しかも『高麗史』は1018年当時の文書ではなく、朝鮮時代にまとめられた本です。いちばん確かな言い方は「温泉は『高麗史』地理志に記録されている」です。1018年を発見の年とするのは、原文の言っていることを超えています。
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朝鮮初期:9間の建物
『世宗実録』地理志の、忠州・延豊県(ヨンプンヒョン)の項には、もう少しくわしい記録があります。
温泉は県の役所から北へ20里、安富駅(アンブヨク)の西にあり、9間の建物があったと書かれています。「間(カン)」は柱と柱のあいだを数える昔の建築の単位なので、部屋や客室が9つあったという意味ではありません。
つまり朝鮮初期には、温泉のそばに建物がありました。手つかずの自然の湯だまりではなかったわけです。
ただ、浴場の配置、湯船の形、男女が分かれていたかどうかは書かれていません。「9間」だけでは、そこまではわかりません。
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大きな道のそばの温泉
水安堡がどこにあるかも大切です。
韓国文化院連合会は、成俔(ソン・ヒョン)の『慵斎叢話』を引いて、忠州の安富駅近く、大きな道のそばに温泉があり、湯はとても熱いというよりぬるかったと紹介しています。『世宗実録』地理志も、温泉を安富駅とのかかわりで記しています。
温泉は旅人が行き来する道の近く、当時の交通網のなかにあったことになります。
旅とお風呂を結びつけて語るには十分な根拠です。ただ、科挙を受けに都へ向かうソンビがみなここに立ち寄った、というところまでは言えません。それにはもっと具体的な記録が必要です。
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温泉から、商売としての銭湯へ
忠北研究院の地域アーカイブは、水安堡が簡単な湯小屋から、大きな銭湯や宿のある町へ変わっていった流れを紹介しています。
この年表は、アーカイブが現代になってまとめた地域史です。当時の建築許可や営業記録、新聞と突き合わせて確かめたものではありません。
| 1885年 | 温泉亭(オンチョンジョン)ができる。木造の簡単な湯船で、男女は分けられていた。 |
|---|---|
| 1908年 | 簡単な湯小屋が建てられる。男女だけでなく、朝鮮人と日本人でも分けられていた。 |
| 1916年 | 以前の浴場を、より近代的な浴場に建て直す。 |
| 1920年代後半 | 近代的な機械で温泉を掘り、浴場や宿がさらに増える。 |
| 1931年 | 槐山郡守の李海用(イ・ヘヨン)が安堡湯(アンボタン)を開く。 |
| 1945年の解放後 | 経営が日本人から面事務所(村の役場)に移る。 |
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年表からわかること
この間に、地面から湧く湯を使うだけの場所が、浴場とお金を払うサービスを中心にした町に変わっていきました。1900年代初めに朝鮮人と日本人の浴場が分けられていたことは、お風呂もまた当時の不平等な社会のなかにあったことを思い出させます。
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温泉を掘ったのはいつか
資料によって、年が合わないところもあります。
韓国観光公社の記事は、近代的な掘削機械を使ったのを1926年としています。一方、忠北研究院のアーカイブと忠清北道の観光サイトは1929年です。二つの年が工事の別々の段階なのか、のちの資料の誤りなのかは、当時の記録が見つかるまでわかりません。それまでは「1920年代後半」と言うのが確かです。
これは近代の一場面についての疑問にすぎません。温泉と建物についての、ずっと古い記録の確かさは変わりません。
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解放後:新婚旅行、家族旅行、大統領
戦後の水安堡は、国内旅行の町としての色が強くなっていきます。
韓国観光公社によると、1970年代には新婚旅行先として人気を集め、1980年代には家族旅行の定番になりました。お風呂は、宿に泊まる旅の一部になっていきました。
国家記録院は、李承晩(イ・スンマン)大統領と崔圭夏(チェ・ギュハ)大統領の訪問を紹介しています。李承晩は温泉街の入り口近くに記念樹を植え、崔圭夏は休暇を水安堡で過ごしました。
1997年には観光特区に指定されました。忠清北道議会の会議録でも確認できます。
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みんなで使う一つの湯
いまの水安堡では、温泉の湯をまとめて管理しています。
韓国民族文化大百科によると、貯湯タンクを使った集中給湯の仕組みがあり、源泉を守りながら湯を安定して届けています。それぞれの浴場が、別々にではなく、同じ設備につながっているのです。
銭湯に必要なのは湯船と脱衣所だけではありません。湯を集め、ため、配る仕組みがいります。水安堡では、その役目を町全体で分け合っています。
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よく聞く説明を確かめる
- 「3万年の歴史をもつ温泉」:観光資料には、温泉ができて約3万年とあります。温泉が地質的にどれだけ古いかと、人がいつから入浴してきたかは別の話です。3万年前から人が入っていたという意味にはなりません。
- 「韓国最初の温泉」:これも宣伝資料の言葉です。「最初」が、湧き出た順なのか、記録に出た順なのか、発見された順なのか、営業を始めた順なのかで答えは変わります。どれについても、全国で一番と言える根拠は資料からは見つかりません。
- 「太祖と粛宗が訪れた温泉」:観光案内や地域の文化資料は、二人の王を水安堡と結びつけています。ただ、二人がここを訪れたと書いた原文は確認できませんでした。見つかった『太祖実録』1393年旧暦4月25日の記事は、王が温泉から戻ったと書いているだけで、場所の名前はありません。王とのつながりは、それを伝える後の時代の資料の話として紹介するのがよいでしょう。
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お風呂の歴史のなかの水安堡
水安堡は、最初でも、いちばん古くても、王のお気に入りでなくても、十分に語る価値があります。『高麗史』に記された温泉、朝鮮初期の9間の建物、大きな道のそばという立地、商売としての銭湯、そして新婚旅行、家族旅行、観光地へ。記録はそれだけで長く続いています。
何百年ものあいだに、温泉には建物ができ、客が来て、宿と共同の給湯設備が生まれました。その流れをたどると、韓国の温泉村が現代の温泉町になっていく姿が見えてきます。
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出典
- 『高麗史』『太祖実録』:韓国史データベース(db.history.go.kr)、朝鮮王朝実録(sillok.history.go.kr)
- 『世宗実録』地理志:sillok.history.go.kr
- 『慵斎叢話』:韓国文化院連合会(ncms.nculture.org)
- 1885〜1945年の年表、掘削の年:忠北研究院アーカイブ(archive.chungbuk.re.kr)
- 掘削の年、新婚旅行・家族旅行:韓国観光公社(korean.visitkorea.or.kr)
- 3万年、「最初の温泉」、掘削の年:忠清北道観光(tour.chungbuk.go.kr)
- 大統領の訪問:国家記録院(theme.archives.go.kr)
- 1997年の観光特区:道議会会議録(clik.nanet.go.kr)
- 集中給湯:韓国民族文化大百科(encykorea.aks.ac.kr)
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東莱温泉の歴史を読むBONBLE SEOUL. YOUR GUIDE TO KOREAN BATH CULTURE.


















